カテゴリ:helloharuo tour 2007( 9 )

Thursday 4 October 2012


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一日写真のレタッチに追われる。
何とか7時までに終えてメール便で送った。
レタッチは、嫌いではないが目が疲れる。

だから今日は、散歩には行けなかった。
夜は、雷雨で音も凄く強烈だった。

今日は、可奈子の誕生日だったのでLINEでおめでとうを送った。
可奈子、31歳になるそうで随分若いな〜と感じた。
これから人生が楽しみな年代だ。半世紀は生きて絵を描き続けて欲しい。

今日は、忙しくて写真を撮っていなかったので2007年のアーカイブから。
ペルーのお誘いで英国に行きたい気持ちが募ったが行けない。2007年に英国に行った際にドイツのベルリンにも行ってモコに会いに行った。先日会ったばかりだがこの写真は、5年前だからやっぱり若く感じる。でも変わらなく奇麗。

可奈子もモコも人妻。人妻のことはこのへんにして。(笑)
僕は、人妻の友達が多いぞ〜。

たまたま、YOUTUBEで天地真理を見付けて火が点いてしまいシングルレコードのコレクションの女性シンガーのEPを何枚か片っ端から聴いたら楽しかった。天地真理って本当に可愛くて歌も素晴らしい。

今日は、ランチに味噌ラーメンで具は、ネギのみ。
夕食にコンビニのおでん(厚揚げ、卵、がんも、大根)、それにスーパーで半額で買ったおにぎり2つ。

食を細くが続いているが特に問題はなし。
体重は、73kgを下回ったがそこから下には中々難しい。
目標は、70kgだ。
1ヶ月くらい小食すればお腹も引っ込むだろうよ。
やはりお腹が引っ込むと動きが楽だ。



日野てる子、彼女も素晴らしい。この曲今日のラジオで知った。情緒がある。



追記
そういえば今日お隣さんから東京へのバスの往復チケットを頂いた。期限が迫って来ているが使う予定がないとのこと。ありがとうございます。お礼を何かしなくちゃね。
で、そのチケットの写真を撮っていた。

おやすみなさい。

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台風が近づいていて明日の撮影は中止になってしまいました。来週に延期となりました。
台風の影響で被害が少ないように祈っています。
helloharuo tour 2007の日記も随分ご無沙汰ですがこの日記は自分用に残しておきたく今日時間が空いたので書こうと思います。今回で最後です。



7月4日(水)
ベルリンからロンドンにイージー・ジェットを利用してガドウィック空港に到着した。ヴィクトリア駅まで電車で移動してTUBEのスイスコテージ駅まで更に移動した。駅に大山君が迎えに来てくれた。歩いて大山夫妻が住む家まで大山君のこの付近の説明を聞きながら歩いた。閑静な住宅街。危険度は感じない。綺麗なエリア。ドアを開くとヨッシーが明るい声で迎えてくれた。

ヨッシーは、11年前に僕のアシスタントをしてくれた事が切っ掛けで友達になり、仕事のマネージャーもしてくれた時期があった。いつも僕を励ましてくれる優しい人だ。ヨッシーが夕食を振る舞ってくれた。ヨッシーはマクロビオティックを食事に実践しているので期待していたがそれを大きく裏切るサプライズなメニューが出て来た。

なんと!鰻だった。(嬉しかった〜!)

ベルリンでモコと日本食を食べて以来、日本食への恋しさは募っていた。なんとも旨かった事か!感謝、感謝ありがとう!
彼らに会うのにこの日を決めベルリン滞在を短い期間にしたのは訳があった。それは、大山夫妻が明日東京に戻る為だった。僕は、残りのロンドン滞在を主のいない大山家で過ごす予定だ。
食事の後、彼らのロンドンでの生活を聞いたり、部屋の使い方教わったり、僕の旅話を話したり。ヨッシーは、最近、The College of Practical Homeopathy(CPH)を卒業した。今後イギリスと日本でホメオパスとして活動する予定だ。彼女は、まだまだこれから何か興味のある事に向かって突き進むんだろうな。凄いよ。

この夜、イギリスに到着した時にメールを送っておいたロンドン在住の麻子ちゃんから電話が来た。メールの確認が遅れたらしいが彼女からパーティー情報を得た。ロンドン郊外で3日間の野外パーティーがあるという。『来なきゃダメだよ!』と誘われた。気持ちは更に盛り上がり旅の最後にパーティーに行く事にした。

7/5日(木)

大山夫妻をフラットの下まで送り、彼らは、大きな二つのスーツ・ケースを転がしてヒースロー空港に向かう為タクシーに乗り込んだ。僕は午後、ショッピングに出掛けた。というのも明日からパーティーに行くと日曜日にロンドンに戻りその日は疲れで撃沈だろう。次の日の月曜日にはイギリスを離れるんだ。いよいよ終盤戦。オックスフォード・サーカスのH&Mでセールをしていたのでここで白の麻パンツを購入。白のアイテムがまた増えた。夕方には、シャーロットととソーホー・スクエアーで待ち合わせをし、近くのパブに入り、マークも合流した。プリマスで一緒だったが彼らとも今日で当分お別れとなる。7月1日からイギリスでもすべての飲食店での禁煙が実施された。パブでもタバコが吸えなくなったのだ。日本はまだ10年掛かるかも知れない。食事は、ターキッシュ・レストランに入った。ジャッキーとクリに赤ちゃんが生まれて子育ての様子を見た3人は、今後自分の子供を持つのか?という話にもなった。3人とも独身だ。僕は?子供は可愛いと思うがまだまだ結婚へのビジョンが見えない。いい歳になるが見えないのだ。すべては「出会い」でどうなるかわからないけどね。食事の後は、2人と別れて1人夜の街を歩いた。感傷に耽った。大山家に戻り、本棚にあったDVD『恋する惑星』を観た。ヨッシーが一番好きな映画と言っていた。ベルリンでのクラウディアの言葉を思い出す。

7月6日(金)
朝早く、シャーロットの務める会社が近くにあるチャンスリー・レーン駅まで行った。ジャッキーから僕宛に荷物を預かってもらっておいてくれたから取りに来た。ここでシャーロットと最後の最後に別れた。彼女はパーティーに行けない事を悔やんでいた。シャーロット、今回のロンドン滞在はどうもありがとう!優しさを頂きました。
この後は、南ロンドンのクラハム・コモン駅まで移動し、ムーン池田に会いに行った。ムーンとは、吉田かつじさんが主宰していた東京でのクラブイベント『LOVERING』にカメラマンとして参加してからのお付き合いになるので10年以上前から知っている。吉田かつじさんは、世田谷区の若林の自宅を改造して『ひぐらほ』という隠れ家的秘密バーを開いてた。今は、池尻大橋で『GAMA』というバーを経営している。ムーンは、7年前にロンドンに結婚為移住し、東京在住時の仕事でもあったアロマテラピストとしてロンドンでも活躍している。ここ1年は、やはり赤ちゃんが生まれ子育てのため、休業していた。ムーンの自宅は駅の近くにあった。この家は購入したそうで元パブだったと聞く。そう言われれば、かつてここが入り口で、ここがバー・カウンターで、ここが地下貯蔵庫か〜。面白い造りの居住空間になっていた。赤ちゃんの名前は、大胆にも『空海/くうかい』と名付けられた。男の子だ。ロンドンに来て7年。それなりに悩みを打ち明けてくれた。僕は、多分10年彼女とは会っていなかったがこのムーンとも何でも話せる友人だ。短い時間だったが色々話した。一番印象に残っている彼女の言葉は、恋愛の話になった時だった。『男と女の間には未練が必要。』だと言う事。僕は、今まで彼女が出来ては同時に写真を撮り、理由があり別れそしてその別れた彼女の写真を纏めて写真集を制作して来た。別れた後に写真集を制作する事で次の相手に迎える。男女の関係を整理する事になる。そして『未練』も薄らいで行くのだ。写真家でなければどうだろう?男は別れた相手の事をいつまでも引きずる傾向がある。それは「未練」ともいえるだろう。ムーンは、学生時代に付き合っていた相手がロンドンに留学し、そのままロンドンに居着いてしまった。二人の関係は、その後も続き今はめでたく結婚をし、空海君が生まれている。そのムーンの恋愛持続要素は「未練」が一役買っていると言う。女性的考え方かも知れないがムーンから1つの解答を得た気がした。ではこれから誰か付き合う事になっても写真を撮る事をよそうか?でもそうはいかないけどね。

ムーン池田の家を出てPaddington駅に向かった。麻子ちゃんとの待ち合わせ。少し待つと彼女は、ロングヘアーにバックパックとコロコロのケースそしてショートパンツで現れた。彼女も久しぶりだった。前回会ったのは、2004年の11月3日。ピコピコ王国のといちゃん&さっちゃんの結婚式パーティーでだった。麻子ちゃんとの出会いもといちゃん&さっちゃんからの紹介だった。

Paddington駅からパーティー会場があるALDERSHOTまで電車で向かった。1時間強くらいで簡単に着いてしまった。駅に着くとリムジンバスが用意されていた。僕と麻子ちゃんは、電車の中で出会ったDJ(名前忘れた)とその彼女と4人でタクシーを利用した。日本では殆どが山の中で野外パーティーは行われるがここは山というより、郊外の広い大地と言ったところか。
『ANTI WORLD』というオーガナイザーだった。何ともパーティーの精神とは真逆なネーミングだ。天気は良く雨の降る気配はない。残念ながらこの日のパーティーのウェブサイトはなくなってしまっているので詳細は伝えられないが、蒼々たるアーチストが連なっていた。(YOU TUBE見てね。)サイモン・ポスフォード、ハルシノゲン、ラジャラム、ソン・カイト、インフェクテッド・マッシュルーム、スカジ、GMS等々。。。メインフロアー以外に、巨大テントのステージが3つ。音を出す場所は、8カ所もあった。もちろんチルアウトのテントもあるし、シャワー室もあるし、移動遊園地もあった。規模が日本と違いすぎる。がしかし、人はオーガナイザーの期待以上には集まらなかった。

麻子ちゃんは、イギリスのパーティー・シーンに精通している様でスタッフ・パスを持っていた。
僕は、当日券120£を支払った。(日本円で約28.000円)高いよ〜!高すぎる〜!まあ、旅の思い出として楽しめばいいと割り切った。

麻子ちゃんが用意してくれたテントに荷物を置き、彼女の友人のがっちゃんとも再会し(同じく2004年に会っている)まずは会場を探索。FOODの屋台も沢山用意されていたがベジタリアンの麻子ちゃんは、他のパーティーに比べてベジタリアン・フードが少ないと嘆いていた。『ANTI WORLD』だからか?
各テントには、ジャンルの違う音が用意されいたが殆どの客は、メイン・ステージに集まっていた。FULL ON_トランスが炸裂するする事になる。
日本人のDJはクレジットされていたものの認識が出来ず、日本人の客は、15人くらいはいた様な気がする。何人か言葉を交わしたが交流は殆どなかった。知った顔もいなかった。留学生たちのような気がする。客層は、白人、ラテン、黒人、アジア人全ての人種がいる。
やはり海外のパーティーは面白い。ファッションも強烈で超ロングなドレッド・ヘアーやコスプレ姉ちゃんや、デブやマッチョや日本では“引かれそう”な“やから”がいっぱいいた。代々ヒッピーの人もいた。ステージでは、フラフープを巧みに操るダンサーや、ヘビ使いのダンサーが延々踊っていた。やばいね〜!

麻子ちゃんを通して彼女の友人たちとギャザリングをしたり、僕に気軽に話しかけて来る人もいたので1日目は、あっという間に過ぎた。パーティーで麻子ちゃんは、人気者で『ANGEL』と呼ばれていた。洋服のセンスもおしゃれで可愛かった。僕に麻子ちゃんを紹介してくれと男の子が頼んで来たくらいだ。
このパーティーと日本のパーティーとで違う点は深夜12時を過ぎるとメイン・ステージの音が隣りの巨大テントに移った事だ。テントの御陰で音が外に漏れるのも防ぐ為だ。

7月7日(土)
2日目も天気は最高に晴れ、それだけでも気分は高揚していたが何故か寂しかった。日本のパーティーの様にいつものシャンティーな友人たちがいないからだ。パーティーでは、踊って、喰って、寝て、飲んで、しゃべりまくる、再会を楽しむなんて事がいつもあるがここでは、友人が麻子ちゃん以外いない為に常に麻子ちゃんと一緒という訳にもいかず会場も大きいため1人行動が多くなった。麻子ちゃんとは、微妙に音の趣味も違った。彼女は、プログレハウスを好んだ。僕は、ゴア・トランス。このパーティーの中心であるフルオンのトランスは嫌いではないが情緒がないし飽きる。そういった事もテンションを下げたかも知れない。だから実は写真をあまり撮っていなかった。そんな気分を上げてくれたのは、正にシンクロしたひろみちゃんの存在だった。

ステージの近くの柵の前で踊るダンサーを見ていたらひろみちゃんが突如現れたのだ。
ひろみちゃんは僕の後ろ頭の形で『ハルオ君』とすぐ気付いたらしい。

ひろみちゃんは、自称JANISとも名乗っていた。ジャニスは僕の『十人十ゑろ』のモデルの1人だ。彼女が2003年9月1日の深夜遅くに友達の女の子に連れられて僕の家にやって来てすぐさまテントの中で彼女の裸体を撮影した。盆と正月が一度にやって来た大きなスタートでその後『十人十ゑろ』の撮影を続ける事になったトップバッターのモデルだ。旅に出る前に彼女から連絡があり会いたかったが忙くて会えなかった。

『結婚する、相手は、スティーブで、この前までロンドンに行ってて、またロンドンに行く。』と。

まさか、ここで会えるとは思わなかった。

ひろみちゃんは、『十人十ゑろ』のモデルをしてくれた後、色々あってひきこもりを1年くらいしていたがそれを救い出したのはスティーブだった。そのスティーブの存在は、みろみちゃんに初めて会う2003年よりも遥か前にパーティーで知っていた。あのスティーブとひろみちゃんが一緒になるとは!ひろみちゃんは、桜模様の浴衣を着て番傘をさしていた。相変わらず、ど派手なコスチュームだ。ひろみちゃんらしい。いいよ。再会を祝して乾杯をしてスティーブとも再会した。僕は、しゃべりまくった。彼女もしゃべった。2人は笑顔だった。

この日の夜のステージでは、 Infected Mushroomのライブが超目玉だった。フルオンの代表格だが彼らのステージはとってもパワフルで気に入った。あ〜そうか〜あの人が歌ってたんだ〜なんて再認識したり、何度も何度も繰り返させるアゲアゲも彼らなら気持ちよかった。(でもライブの終わりの頃は飽きた。)これは百聞は一見にしかずに値した。ファンになったといってもいい。かっこよかった。ROCKだ。

7月8日(日)
この日も午後までは音は鳴るはずだったが警察のパトカーがやって来た。どうも『ANTI WORLD』は、救急施設の設置をしていなかった事が理由でパーティーの継続はOUTになった。音の苦情ではないらしい。日本では一度も見た事のないATM機の設置はあったんだけれどもね。日本にもパーティー会場でATM機の設置があると便利だよね。
テントで麻子ちゃんとその友人たちとでまったりチルアウトをしてさあどうしようかな〜?と考えていた。麻子ちゃんは、行きは僕と来たけれど帰りは友人の車で帰る予定だ。僕も乗せてもらう事は出来たが音も終わったし、1人早めにロンドンに帰る事にした。麻子ちゃんとハグしてお別れをし、パーティー会場のゲートまで歩く途中ひろみちゃんとスティーブにまた会った。次の再会を、キープインタッチをして行こうと約束し、ハグをした。僕は2人の写真を撮った。そしてリムジンバスに乗りALDERSHOT駅まで移動し、ロンドンに向かった。明るい時間に大山家に戻る事が出来た。この流れで良かったと思う。パーティーは十分楽しんだ。シャワーを浴び、この後は、1人爆睡したのはいうまでもない。ちょっと怖い夢を見た。

7月9日(月)
早めに起きてパッキングの準備や部屋の片付け、大山君に借りた洋服の洗濯をして、さ〜遂に帰国である。ヒースロー空港まで余裕を持って出掛けた。フライトは18:20だった。時間がたっぷりあったので途中オックスフォード・サーカスに寄り土産を買った。3時間前に空港に到着したが利用するキャセイ・パシフィック航空の便が大幅に遅れ21:00過ぎるとの情報。ひたすら空港内で時間をつぶした。昨日までの疲れもあり待つ、待つ、待つだった。

飛行機はまず香港まで飛んだ。大幅に遅れた事で香港に着くと予定されていたトランジットの飛行機には乗れなかったが、すぐ代替えの飛行機が用意されていて成田まで向かい無事日本に帰国した。新宿に着いたのは、12時過ぎだった。


今回の『地球上の友人を訪ねる旅』はこれで終わりです。

パーティーで再会したスティーブと話していた時に彼に人生のビジョンを聞いた。それは僕がこの旅の解答を求めていたからだと思うし、なんとなく彼に聞いてみた。

すると『リラックス』だと答えてくれた。

言葉を書いてしまうと案外簡単な解答だがこの言葉は印象に残った。リラックスに繋がるまで彼の生活の話やひろみちゃんとの経緯を聞いた。リラックスね〜、確かにリラックスは大事だよな〜。東京に戻り東京のサイクルで仕事をしていると余暇の時間もなんか忙しなくなってしまう。ジャッキーやクリの生活、ペルーの田舎暮らし、モコの住むベルリンの静けさ、どれも時間の流れはゆっくりだった。スティーブから旅の解答はもらった気がする。

『リラックス』 これに尽きるな〜。

人生は一度っきりだし、自分の時間を大切にして行こうと感じました。
仕事も頑張っていつもの様にプライベートとのバランスを大事にしてね。
いいリフレッシュしました。


いい旅でした。

訪れた友人たちに感謝。
日記を読んでくれた人達に感謝。
ナデシコを預かってくれた母親と兄に感謝。
仕事関係の方達に感謝。
留守中、家を守ってくれたピコピコ王国の家族に感謝。


今回を旅を纏めて写真集を制作する予定です。
この日記を添えます。タイトルは決めています。

『CARRY ON』です。忙しくなってもリラックス!!


2007年9月6日(木) 

松谷椿土/Haruo Matsuya a.k.a helloharuo


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3日間のパーティーに行って来た。5.000人は集まっただろう。スキー場を利用した会場は、木陰がどこにもなく炎天下猛暑を襲う。熱中症を心配したがなんて事はなくたっぷり日焼けをした。意外にも古くからのパーティー・ピープルと再会し、『出会いのカメラマン』としても10人近くに写真を渡す事が出来た。そして昨日は、ドイツ人のディータとジャーマン・フレンチ人のローラを連れて絵描きのマサ、下田昌克の家に行き、神宮花火大会を鑑賞。ローラは花火をバックにひたすらセルフ・ポートレイトを撮り続けていた。マサの家が神宮球場の近くにありアパートの屋上は最高のロケーション。夏を楽しんでいます。日本の夏が好き。

随分ご無沙汰したが旅日記を書く事にする。


7月1日(日)
ドイツ・ベルリンは初めての土地だった。滞在先は、モコの家。ベルリンの空港に着いたのは遅い時間の夜。モコは、まだ2歳半の子供のネオン君がいるので迎えに来れない。その代わりに同じアパートメントに住んでいるクラウディアが来てくれた。モコがウェルカム・ボードを作ってそれをクラウディアに渡して難なくご対面となった。ウェルカム・ボードにはナデシコの似顔絵が描いてあった。モコらしいな〜。

ベルリン1日目の夜は、軽くモコとおしゃべり。僕が来た事を本当に喜んでくれた。やはりベルリンまで来れる友人は少ないからだ。日本人のお宅にお邪魔したのは初めてだったので日本食が食べたくなり、モコがインスタント・ラーメンと作ってくれた。これが美味しかった。

7月2日(月)
モコの家はミッテという地域にあった。ガイドブックを買っていなかったので何がどうなっているか見当がつかない。モコの案内で街を散策する。印象はイギリスと同じヨーロッパの町並み。だけどどこか長閑だ。ゆったりしてる。昨日のラーメンから日本食食べた〜い気持ちが高まり寿司屋にランチに行った。トロ丼が5ユーロで食べれた。イギリスに比べて物価がかなり安く感じた。これまた美味しかったので更ににぎり寿司を注文した。ベルリンにも寿司は浸透している。

会いたいが会えなかった友人がいた。ドイツのデュッセルドルフに住むマスミとベルギーに住む温子だ。マスミは同じドイツとはいえこちらの都合に合わせてベルリンには来れず、異国ベルギーに住む温子もモコの計らいでエアー・チケットの手配しようとしたが彼女にも会う事が出来なかった。残念だったがしかたない。

夕方になるとスベンがモコの家にやって来た。スベンとは日本で会い、交流を深める。同じカメラマンだ。彼の車に乗り街を案内され彼の行きつけのレストランで食事をした。ポークソテーを食べる。肉のかたまりが皿にドカーンとあった。食後近くのスタジアムに行きグラフィティの写真を撮った。その後スベンのお宅に行っておしゃべりをした。ベルリンはアーチストが集まると聞いていたがそれを頷ける体験をした。それは『静寂』があるという事だ。僕が滞在したのは僅かだし、平日だという事もあったが夜になると『静寂』があった。とても静か。あ〜この静けさがアーチストのモノ作りに集中出来る環境なんだと悟った。坂本龍一氏も家を買ったと日本のラジオで聞いた事があった。アーチストをワクワクさせる何かがあるんだと思う。他のヨーロッパの国々に行くのにも便利だし、そこそこ何でも揃うし、家賃も安いと聞く。住みたいと実感した。スベンは9月にまた日本に仕事でやって来る。僕は、彼の撮影のアシスタントをするのだ。

7月3日(火)
モコとの出会いは、2000年。まだ19歳だった。一目惚れをし、僕のモデルになってもらった。その頃からモコは“ドイツに恋”をしていた。東京ではモコに連れられドイツのエレクトロ・ミュージックのクラブによく踊りに行った。そのモコがドイツ人のDJフランク・ムラーと数年前に結婚をしネオン君が生まれた。ネオン君は、2歳半になる。滞在中ネオン君は、僕の事を何故か「おじいちゃん」と呼ぶ様になりすっかり僕もおじいちゃんに成り済ました。今後もおじいちゃんとして接する事にする。旦那さんのフランクは丁度日本でのツアーがありベルリンにはいなかった。明日もしかしたら僕がベルリンを離れる前に会えるかも知れない。

この日は忙しかった。まるで東京で仕事をしている時の様なスケジュールだった。ベトナム・レストランでランチを食べた後モコの案内で街を歩く。観光客がぞろぞろ歩いている。一つ一つのお店に入る時間も気力も興味もさほどなかった。僕には、モコと会っておしゃべりしている事が楽しみだった。昨年写真展『十人十ゑろ』を開催したがモコはモデルに参加してくれているし、実は『十人十ゑろ』の発端や、けしかけてくれたのはモコだった。モコはフランクにもそうしているだろうが内助の功的存在だ。出会ってから7年。妻になり、母になるモコだが少女の様な爛漫な心を持つ。料理もうまく東京にいる頃からよく彼女の作る料理を頂いた。料理とはいえないがモコは辛子明太子が大好物。ベルリンじゃぁ食べれないな。レトルトの辛子明太子のスパゲティーソースで補っている。

夕方になりナオに会いに行く。フランクの自転車を借りてベルリンの街を走った。道路には、名前があるので日本ほど迷わなくても辿り着ける。ナオとは、スベンの紹介で日本で会った。ナオは元スベンの奥さんで日本で以前アート系の出版社で働いていた経験を生かし日本のアーチストをドイツに紹介する橋渡しをこちらでしていた。7年間ベルリンに住んでいる。スベンとの間に亜門君という7歳になる男の子がいる。ナオと亜門君とでイタリアン・カフェに入った。ベルリンは市の援助もあり、比較的簡単にお店をオープン出来る。イタリアン・カフェのオーナーは現在のナオのボーイフレンドだった。ナオは彼との間に子を宿していた。僅かな時間しかなかったが彼らが住む家にもお邪魔した。日本に比べると優雅な部屋に住んでいた。環境は大事だな。ナオは幸せそうだった。ボーイフレンドとはけんかをした事がないと言っていた。亜門君は僕がナオとおしゃべりしている間ゲームに夢中になっていた。ナオも少女の様な心持ちの人でいつもよく笑う。昨年出会い、すっかり何でも話せる間柄になった。ナオもやはり励ますのがうまい人だ。

ナオと別れ自転車でまたモコの家まで帰った。モコのが作った夕食を食べた。モコとネオン君と僕の3人。フランクがいなかったのが残念だった。

夜に差し掛かると今度は、DL_SAL君とサヤカ嬢に会う約束のため、また自転車で街まで出掛けた。二人は結婚したばかりでベルリンで愛の巣を探している所だった。今後このベルリンでパーティーをオーガナイズしたいと計画を語った。二人なら出来ると思った。DJ_SAL君は長い間、スターゲイトというパーティーのメインDJだった経験を持つ。サヤカも長い間の海外経験を持ちパーティーにも精通している。僕は2人に、それぞれパーティーを通して出会ったがその2人が結婚するとは。東京での結婚パーティーの写真を撮る事を頼まれていたがスケジュールが合わなかった事が悔やまれる。カフェでビールを飲み、その後もう一軒ロシアン・バーに行った。赤色を基調にした内装でロシアン・デカダンスの雰囲気があった。彼らとも僅かな時間でお別れする。ベルリンという地で会えただけでも意義があり楽しく幸せな彼らのバイブは僕には心地よかった。

そして又モコの家に戻り空港に迎えに来てくれたクラウディアがモコの家に遊びに来てくれた。彼女は、カメラマンらしいが自分では写真の事は語らなかった。折角なので僕の作品を見せた。ミニチュア版『十人十ゑろ』と写真展のDVD、『日々是好日』を見せた。『日々是好日』を見た彼女の感想はウォン・カーワイの映画の様だと言った。確かにラブストーリーだし、時間軸もあるし自分では意識しなかったがそうかもしれない。ベルリンでもアラーキーは有名でクラウディアは良く知っていた。クラウディアからはとってもワイズさを感じた。質実剛健でチャーミングで浅はかながらドイツ女性の美しさも感じた。もっと話したいと思った。

今日は忙しかった〜。でも楽しかった。僕の旅はこれでいい。
明日フランクがベルリンに戻って来る知らせがあった。


7月4日(水)
午後になると大きな段ボール箱と一緒にフランクが帰って来た。フランクはツアーの間にモコの実家にも寄りモコのご両親が遠く離れて暮らすモコたちの為に日本食をどっさり詰め込んでいた。モコは、まるで誕生日プレゼントを開ける様に夢中になって中身を見入った。それを見守るフランクは微笑んでいた。梅干しやシソの苗木も入っていた。フランクの仕事部屋で彼を機材と一緒に撮った。機材は整理整頓されフランクの性格を物語った。最後の日、僅かながら街に買い物に行った。途中集中豪雨に見舞われた。みやげをいくつか買った。ベルリンの壁のコンクリートの瓦礫がくっついているポストカードを買った。みやげを買うのは本当に面倒くさいが喜んでくれるのならと。(日本のみやげの習慣は閉口する。)自分用には何も買っていない。ますみが旦那さんのREN君と一緒に活動しているユニットCRUXがプレイした今年のカウントダウン・パーティーがベルリンであった。そのパーティーのポスターがクラブのエントランスにまだ貼ってあった。
☆CRUX(JP)☆
のクレジットが写真でも確認出来る。マスミ頑張ってる〜!嬉しく思う。会いたかったなぁ。


空港までフランクとモコとネオン君が車で送ってくれた。途中ベルリンの壁が右側に延々続いていた。ベルリンの壁は意外と低く、冷戦当時、誰もがもしかしたら飛び越えると錯覚し銃撃されたんだろうか?悲しい歴史だ。

初めてのベルリン。友達との再会。短かったけどかなり充実していた。
何よりも収穫だった事は、ドイツ人への理解だろうか?今までドイツ人は苦手だったがドイツ語のサウンドも好きになったし、日本と同じ歴史がある国。今度はもっとあちこちに出掛けてみたい、そう思った。

ベルリンの空港からロンドンのガドウィック空港までまた一人旅が始まった。今回の旅で最初会った大山君&ヨッシー夫婦の家に向かう。この日記も後1回で終える予定。

続く。。。


明日から仕事で中国の嵩山少林寺と北京に行ってきます。


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風鈴を買った。350円くらいの普通の金属製のやつで風受けに紙をぶら下げる。ここ数日は台風の影響で風が強く、チリンチリンとよく鳴ってくれる。部屋は網戸をしなくても蚊は入って来ないし玄関のドアを少し開けておけば部屋に風が通る。部屋にエアコンはないが日本の夏は好きなのであまり湿気による不快感はない。先週ドイツ人の友達のディータに誘われて隅田川花火大会に行った。浅草まで電車で行ったのだが、“どえりゃ〜”人だった。花火が見える場所も人が多い分限られてしまい、警察の交通規制のアナウンスをBGMに鑑賞した。花火は良かったが環境が今ひとつ。しかたない。今週末は友達のともこに誘われて山中湖で開催される山根麻以さんのコンサートに行く。大好きな日本の夏は仕事に遊びに楽しむ。


旅日記も時間が経つと記憶が少しずつ消えていく。写真を見ながら出来事を思い出す様に書く事になる。

6月29日(金)〜7月1日(日)

29日遂にペルーの結婚式の当日になった。目が覚めると残念ながら雨だった。前日イギリスの天気予報でも雨だと聞いていたがやっぱり。それでも晴れの日だ。結婚式。
セント・ニコラス教会まで車で出掛けた。イギリスの古くからの習わしで花嫁のウェディングドレスは当日まで花婿は見れないという。でも二人はとうに結婚していて子供もいるしね。車は別だったが同じ家から出発だ。

次から次へと参列者の車がやって来て道路に並んだ。教会も美しかったが結婚する二人もきりっとして美しかった。流れ的には日本のウェディングと変わりはなかった。というか日本が洋式の結婚式を西洋から取り入れたんだろうけど。

結婚式が終了して教会の外に出ると雨が止んでからっと青空が見えた。なんとラッキーなんだろうか。神は祝福してくれている。参列者の笑顔でいっぱいになった。結婚式の間、僕はまるで仕事の様にカメラのシャッターを切っていた。ウェディング・アルバムを作ってプレゼントしたいからだ。ペルーの家に滞在していたが日本から何もみやげは持って行かなかった。あった方がベターだが日本ほどそういう「形」にこだわらないところがイギリスだと思っている。

教会から移動し、ペルーの家へ参列者は移動した。結婚式に参列しなくてもパーティーにはと、より多くの人が集まって来た。150人くらいはいただろうか?ペルーの敷地内のある納屋で結婚パーティーはスタートした。

雨は時折降りはしたがそこはイギリス降っては止み降っては止み。そして更にラッキーな事に虹も顔を出し祝福してくれた。

パーティーは9時頃まで人で賑わい、人の数は減ったもののその後はダンスクラブと化した。野外用のスピーカーが設置され十分な音量が鳴り始めた。周囲には隣接する家はないから問題ない。ディープな人のディープな結婚パーティー二次会のスタートだ。僕も踊った。踊りながら人々とコミュニケーションを取った。いつものように。深夜になるとスピーカーはスイミング・プールに移動した。花嫁花婿も疲れているだろうにそれでもパワーを持続させ残っている友人たちをもてなしていた。プールには男も女も全員入るはずだったが入ったのは僕とペルーを含め3人の男だった。温水になっているとはいえイギリスの6月の深夜だ。結構寒かったが気持ちよかった。もちろんふるちんだ。

プールから出た後、寒くなり一人部屋に戻りそのまま寝てしまった。宴はその後も続いた。

明くる日、遅い目覚めとなった。心地はよかった。少しずつ外を見ると結婚パーティーの後片付けをしていた。この日はゆっくり時間が流れ、ディナーは昨日のパーティーの残り物をみんなでテーブルを囲んで食べた。ペルーの好きな飲み物はイングリッシュ・サイダーだ。

ペルーの人生の輝けるモーメントを共有出来て自分も幸せを分けてもらった。
旅が出来ている自分の状況、仕事、友人関係に感謝したい。

最後の日がやって来た。午後にはドイツ・ベルリンに向かう為、KENTを離れなければならない。車で移動してパブへサンデー・ランチに行く。イギリスの田舎道は、いい。

食事の後、最寄りの駅までペルーに車で送ってもらい、終着駅ロンドンのビクトリア駅まで移動した。ロンドンに差し掛かるとピンク・フロイドのジャケット・カバーになったバターシー発電所が見えた。躊躇したが写真は何故か撮らなかった。
ビクトリア駅からガドウィック・エクスプレスに乗り空港まで向かった。駅では売店でおにぎりや寿司が売っていた。寿司はかなりポピュラーになっている。

続く。。。

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6月27日(水)〜28日(木)

この日記はちょうど一ヶ月後に書いている事になる。帰国して17日が過ぎた。つい最近まで時差ぼけにやられて日々の調子が狂い夏風邪も引いてしまった。昨日くらいからやっと元気が出ていた。今日は東京メトロに乗ったがロンドンの比較すると地下鉄(Tube)は汚い。というか東京メトロが綺麗すぎるかも知れない。綺麗好き、働き者が我が国にはたくさんいるだな。いい事ではあるが窮屈な気持ちにもなる。帰国後、街を歩いても東京は基本的には日本人ばかりだ。ロンドンは多種多様の人種がいるし、ファッションも面白い。「畸人」の僕は僕でいいんだ!と自負出来る街の雰囲気がいい。お尻のデカい、太った人もかなりいる。こればっかりはう〜ん。太り過ぎの人たち。でもあれだけ太ってると痩せるにしても限界がある気がする。一体毎日どんなものを食べているんだろう?肉?日本人の太っているの比ではない。


ペルーとの待ち合わせはSOHOのDEAN St.だった。少し早めに行き中華のファーストフードに入った。5£で3アイテムが選べるシステムだった。炒飯、鶏肉の“酢豚”、焼きそばを選ぶとその3品が紙のBOXに詰め込まれていた。当然味は混ざる。合理性が先なんだろうけど情緒がない。日本ではありえない盛りつけだった。それでもまあ、中華を食べるとホッとした。
旅の間、黒のわら製のテンガロン・ハットを被っていたがDEAN St.歩いていると『Nice Hat Sir !!』と声をかけられた。東京ではこんな事はまずない。(自分もしないが。)誰でも嬉しいはずの事だから心掛けたい。

ペルーとの再会は、2年振り。前回は彼が日本に仕事で撮影に来た時だ。ペルーから指定された番地は、ムービーの編集スタジオだった。ペルーは写真以外にもムービーの仕事もしていた。BBCのある番組にも出演している事は前から知っていた。。お互い再会を喜んだが彼はまだ編集スタジオで仕事中だった。イギリスで売れている女性シンガーのビデオクリップを撮ったようでレタッチ作業の指示をしていた。(ペルーのホームページでアップしている。)

ペルーは細くて背が高い。愛車はアメ車だ。その車のホイールは走ると独自に回転する。信号で車が止まると人が見い入った。アメリカでは流行っているらしいがイギリスでは珍しいらしい。日本でも僕は見た事はない。ペルーの住むKENTまでは2時間弱かかった。地理的にも方角的にも東京⇄千葉(鴨川市あたり)と言う感じだ。車を走らせながら話をした。僕は東京でアメリカのスニーカーのブランド、S社の雑誌広告の仕事をしたがペルーもイギリスのブランド、リーボックの広告写真を撮っていた。お互いギャラは幾らだった?と確認し合った。同業者の情報交換ってヤツだ。途中ガソリンスタンドに寄った。ペルーがセルフでガソリンを補給している間にトイレに入った。トイレはガラス越し店の中にあった。ペルーが精算をするため後で店に入ると店員の女の子2人が僕の事を話していたとペルーが僕に言った。黒いハットに全身真っ白な東洋人?は何とも彼女たちには奇妙な存在だったのだろうか?ペルーは笑っていた。いいじゃっん!個性!個性!

KENTは『GARDEN OF ENGLAND』と呼ばれている美しいカントリーサイドだ。山はない。緩やかな丘が続く。

ペルーが購入した家は元農場だった土地にある。まだ住み始めて一年も経っていない。そこはあまりにも広大な土地だった。写真で紹介する白い屋敷を中心に左右へ土地が広がりそれをペルーは所有している。話しには聞いていたが随分とまあ、すげえ〜事になっていた。ペルーには奥さんのルーシーと二人の男の子(5歳のMAX、2歳のZ)がいる。それに、愛犬スタッフォードシャー・ブル・テリアのストラットフォードを飼っている。二人の男の子とは初対面だったがストラットフォードは久しぶりだった。他にも鶏やアヒルも飼っていてはそれらの卵を摂り食べている。孔雀もいた。孔雀は優雅だな。土地には林檎の木も沢山あったし、ビニールハウスで野菜も栽培していた。そして温水スイミング・プールもあった。

結婚式は2日後の7月29日(金)の予定だ。ペルーたちは自宅での結婚パーティーの準備を進めていた。僕も出来る範囲お手伝いをした。一宿一飯の恩義だ。(4泊5日泊まった。)白い屋敷は3階建てで10部屋近くあり、東京から来た僕の部屋も用意してくれた。ロスから親子で来ている家族も同じ様に泊まった。家のまわりには隣接する民家もなければお店とかも何もない。家の前は小川をはさんではらっぱ。家の後方には麦畑が広がっていた。
スケールが違いすぎる。東京で10年前にペルーと知り合い同じ職業のカメラマンだが10年が経ち二人の間にはコリャ相当な経済的格差が生まれていた。僕は、僕なので何にも気にしていないし、ペルーの成功は僕も嬉しい。ペルーと会っていると気持ちいい。それでいい。


結婚式の1日前になると両家の親、兄弟、親戚や友人、業者がやって来て結婚パーティーのへの準備はなんとか完了したあちこちにデコレーションをしたり、会場となる納屋の掃除をしたり、敷き詰めた砂利をならしたり、子供の遊び用にとバルーンのトランポリンの設置とか。
夕方みんなで式を挙げる教会に行き、予行演習もした。いよいよ明日だ。


続く。。。


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先日の月曜日に知り合いのカナダ人マークに部屋を診てもらった。彼とは10年前にパーティーで知り合っているが先週の金曜日にHAKARIのエキシビジョンに顔を出した時に再会した。彼は風水士(風水=Feng Shui)になっていた。昨年、同じマンションに住むピコピコ王国の仁君&よっこが部屋を診てもらっていたから興味があった。僕は部屋の整理整頓、模様替えが好きなのだがお金払って模様替えを手伝ってもらった様な事になった。部屋は、断然よくなった!この事はまたブログに書くとする。


6月26日(火)

午前中から最後の観光に出掛けた。といってもジャッキーが住んでいる場所が観光地なので散歩したって感じだ。ランチにフィッシュ&チップスを波止場で食べる。シーガルがおこぼれに寄って来る。イギリスではフライドポテトを「チップス」と言い、ポテトチップスは「クリスプ」と言う。友人の伸子に頼まれているスノードームを探した。ペガサスが入った可愛いやつが見付かった。(後に不注意で破損)誠は今年生まれの亥年。太陰暦が日本以上に浸透している中国、韓国では「豚年」というのだが今年は60年に一回の幸運の年と言われこの年に子供を生むと幸運に恵まれる。ジャッキー家族に豚の置物(ゴールデン・ピッグ)を帰る前にプレゼントしたかったが見付からなかった。ここはプリマスだ。ロンドンもしくは帰国後、横浜中華街で探す事にする。


ジャッキーとクリに駅まで見送られ一人急行電車に乗った。ヨーロッパの車窓からの田園風景は好きだ。(どの国も似ている)牛や山羊の放牧があちこちに見られる。イギリスの電車内の通路は以外と狭い。(新幹線の三分の二)。その分座席が広い。

夕方にパディントン駅に着いてリバプール・ストリート駅まで移動した。
仕事帰りのシャーロットと待ち合わせ時間が来るまでマクドナルドで紅茶を飲んだ。パソコンを開いてペルーの電話番号を確認し、彼に電話した。『Hello!!! Haruo』とペルーが電話に出た。明日からペルーが住むKENTに移動する。彼の結婚式に参列する為だ。今回の旅のきっかけだ。ペルーは明日仕事でロンドンに来るのでそこで落ち合い彼の車に乗せてもらう事になった。

シャーロットと合流し駅のスーパーでお買い物。シャーロットがシュリンプ・スパゲティーを料理すると言ってくれた。一緒にシャーロットの住む町の駅ハックニー・ダウンズ駅まで戻る。
ハックニーというと東ロンドン地区で少々柄が悪い。いつぞやは歩いていると上から生卵を投下され革靴にぐしゃりと当たった。日本人だからとかそういう事ではなくこういうおふざけをする様だ。(ショーディッチでの出来事)ペルーもKENTに引っ越す前はハックニーに住んでいた。6年前にペルーの家に滞在している時、彼の家の前に駐車してあった車が炎上した現場を目撃した。理由は証拠隠滅だったと聞いている。それでもまあ、普段は別状なんにもなく穏やかに時間は流れている。

シャーロットの料理したシュリンプ・スパゲティーは美味しかった。二人でプリマスの事を回想した。短かったが有意義な時間をプリマスで過ごした。食事をしていると一度も会っていなかったフラットメイトのなんとかちゃん?が戻って来た。彼女は、グラストンベリーに行って来てロンドンに帰って来たばかり。
雨が降り会場は泥の川になったらしい。30年以上も続くイギリスのウッドストックにいつか行ってみたい。

白い服を着ていると少しでも汚れると着替える。洗濯もこまめにするようになる。そしてそれは汚れない様にと意識が働く。東京に戻ってからも白い服を着ている。



続く。。。

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僕の英語力は大した事はない。21年前に6ヶ月間ロンドンで生活をして帰国後アメリカ人と4年付き合って3年間下北沢の外人ハウスで暮らした事によってなんとなく話せる様になっただけだ。旅の間、英会話を続けるが相手が言ってる事は残念ながら全て理解していない。キーワードになる言葉をパズルの様に組み合わせる。昨日英文法の本を買った。もっと勉強しなきゃな〜。

6月24日(土)
ジャッキー家族、ジャッキーのご両親、僕、シャーロットでCAWSANDにピクニックに出掛けた。それは向こう岸にあるので車ごと乗れる連絡船を利用した。15分程度で着いた。今回の旅は『地球上の友人を訪ねる旅』。それによって出会う景色、料理、空気を味わうのだ。僕はそれでも多くの事を体験し学べる。車を止めて海岸までからに下ると映画「猿の惑星_1」のラストシーンを場所を彷彿させる海岸があった。CAWSANDは美しかった。海水浴をしている親子もいる。イギリスの海ってやっぱ寒いイメージが強い。ジャッキーに抱えられた誠はいつも泣いたり笑ったリ、眠ったりだ。子供を育てるって大変だけど幸せを実感出来るんだろうな。

プリマスの戻ってからは、みんなでパブに夕食を食べに行った。パブは通常呑み屋でお酒を飲む所だが日曜日とかは家族でも利用する。イギリスの料理はまずいと日本では定説があるが別にそんな事はない。ローストビーフを頂いた。ヨークシャー・プディングが付いていた。西洋料理一般として肉肉肉は否めないが腹もすけば美味しい。それにイギリスはインド料理もあるし、中華料理もあるし、まあ何でもある。ただ料理の仕方に芸がないとは思う。ドカンドカンドカ〜ンと一皿に料理が盛りつけられる。

マークは一足先にロンドンに戻った。だからピクニックには行けなかった。シャーロットも明日の午後にはロンドンに戻る。仕事があるからだ。

6月25日(月)
ランチにコーニッシュ・パスティーを頂く。是非ご当地料理をとジャッキーのお勧めだった。この地方の料理でパイに包まれた料理だ。確か漁師たちが簡単に食べれるからというエピドードを聞いた。これも美味しかった。
午後にシャーロットがロンドンに戻り、夜はどこに行く事もなくまったりとジャッキー&クリ&誠と過ごした。積もる話はいっぱいある。会っていない間のお互いの事を話した。僕は、2夜に渡って持参した『十人十ゑろ』ミニチュア・バージョン(L版サイズ)に写真展を収めた自作DVD、そして今年制作したばかりに『日々是好日』を見せた。僕の1999年の作品『Miyuki Fifty Four Days Love』は後の2001年ジャッキーが英詩文を添えてくれて完成した。お互いの制作意欲は強く今回の再会を機会にまた何か一緒に作品を作ろうとお互いが合致した。これは楽しみである。

ジャッキーははここプリマスの波止場近くに小さな本屋を昨年から開店した。
SHANTIなジャッキーは『SHANTI BOOKS』と店を名付けた。クリもその経営を手伝い、ネットで販売もしていた。

プリマスので活躍し5年前に無くなった画家がいる。Robert Lenkiewiczがその人だ。独得のタッチで描く肖像画が多い。風体もそうだが狂気、エロスが前面に出ている。かなり個性が強い。僕も彼の作品に興味を持った。

ジャッキーのストーリーを聞かせてもらった。あまりにも複雑で“導き”のあるその話はさずがにメモを取った。ここでは書ききれないし、プライベートの事なのでディティール避けるが簡単に紹介する。

2004年からプリマス大学に通う為にこの地に住むおばさんの家に住み始めた。大学は2年コースだったが1年でコースを終えるプログラムを取る。その年に自分が本屋に訪れる夢を見てその夢の通りプリマスにある本屋に行ってバイトを見付けようとしたがその店にはバイトの空きはなくレイという人を紹介された。レイは以前本屋を経営していたが既に店を閉めていた。ジャッキーはレイのほんのストックの整理のバイトを得た。
レイの本をストックしていたビルにレンカビッチを撮っていたジョジョからレンカビッチの写真をもらう。2005年ジャッキーはまた夢を見た。レンカビッチが出て来た。ジャッキーはそのころになるとおばさんの家から離れて一人暮らしを始めようと考えていた。2度の夢の“導き”で今経営をしている『SHAINTI BOOKS』が入ってるアーケードのビルの4階にフラットを借りた。(お店も自宅も同じビル)そのキッチンの窓からはアーケードの象徴であるステンドグラスが見えた。レンカビッチが手がけた作品だった。ジャッキーは大学の卒論にレンカビッチの伝記(バイオグラフィー)を書く事を決断した。こうなったら書くっきゃないでしょ!ジャッキーは作家になる夢がある。レンカビッチの伝記を詳しく書いた書物はまだ誰も書いていなかった。レンカビッチの以前いたスタジオはそのアーケードの隣りにある。卒論は好成績で無事卒業も出来た。ジャッキーが書き上げた伝記は5ヶ月間を要し分厚い書物になった。すでに亡くなっているレンカビッチの“導き”なのかわからないがレンカビッチに引き寄せられるようにジャッキーの今はあるのだ。

2006年、レイから大量の本を譲りうけたジャッキーはアーケードに本屋『SHANTI BOOKS』開く。そして3度目の夢を見た。<Spirit man came to jaq. Spirit man said,Time is right you're ready. I'm coming to you. >誠は今住んでいるフラットで出産した。

クリもやはりジャッキーにそしてレンカビッチに絡む様に
シンクロ(Synchronisity)し、愛を育み、ジャッキーを助け結婚をし、誠が生まれた。レンカビッチはあの世でどう思っているのだろ?笑っているかなぁ〜?

Synchronisityは人生の道しるべでありその先には光がある。やっぱりそう思う。




続く。。。













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イギリスの天候は不機嫌だ。天気予報もあてにならない。しかし雨が降ってもじっとりは降らないしすぐに止む。6月は時折強い日差しがある。冬ともなれば3時くらいから真っ暗になる。

ジャッキーとは一つ前のブログで書いたセイジの紹介で出会った。1997年新宿開店したばかりのCODEでの事だ。セイジに当時手に入り辛かったMIKOの音源をカセットテープに録音して渡した時だ。
その後、ジャッキーからのアプローチの御陰で僕は彼女のギャザリングに参加する様になる。
パーティーに一緒に行く事だ。今週はどこに行くか?やりとりして一緒にパーティーを過ごしパーティーの後も一緒にチルアウトをした。

『SHANTI=シャンティー」
この言葉はサンスクリット語もしくはヒンディー語で「満ち足りた感覚」「PEACE静寂」「大いなる平安 祝福されている」という意味でパーティーピープルの間ではよく使われる。シャンティーなパーティー、シャンティーな人という様に。

間違いなくジャッキーはSHANTIな人だ。人に対して優しさをうまく表現出来る人。

ジャッキーがプリマスに住み『誠=integrity』という男の子を今年のバレンタインデーの一日前に生んだ。夫であるクリも一緒に住んでいる。クリもパーティー・ギャザリングの一人だった。

6月23日(土)
午後、シャーロットと一緒に急行電車に乗ってプリマスに向かった。前もってチケットを買うと電車料金が安くなるという「早割」システムがあるのでシャーロットは僕がイギリスに到着する前に購入しておいてくれた。45£=約1.2000円。ロンドンから3時間半の旅だった。乗った急行電車は快適に進んだ。天候もよかった。シャーロットはラップトップのPCを開いて社内で仕事の片付けをしていた。シャーロットにとっては2度目にプリマスになる。プリマスはイギリスの南西の外れにある。コーンウォール地方のひとつ手前あたりだ。

ジャッキーは駅まで車で迎えに来てくれた。初めての町、プリマス。後で分かった事だがお酒のジンのブランドで『プリマス・ジン』の発祥の町だ。この町は、元軍港として栄えた。英国海軍だ。メイフラワー号がアメリカに向けて出航した港町。その歴史的背景からアメリカからの観光客が多いという。

ジャッキーたちの住むフラットは波止場の近くにあるアーケードの上、4階にあった。部屋は一つしかなかった。キッチンはとバストイレは別にある。家族3人が寄り添って暮らしている。ジャッキーはこの町に過去子供の頃住んでいて数年前プリマス大学での勉強の為にまた移り住んだ。ジャッキーはお母さんになっていた。彼女の笑顔は変わらなく素敵だった。ベビーの誠はよく泣きよく笑った。クリもよく面倒を見ていた。この誠を中心に二人の愛が浮き彫りにされ、それを見た。この光景を皮切りにhelloharuo tour 2007は、これからの旅先で様々な家族愛を写真に収める事になる。

サプライズがあった。ギャザリングメンバーのマーク(現在はロンドン在住)が僕とシャーロットに内緒で先にプリマスに来ていた。これまたマークという人はSHANTIな人で久しぶりの再会に歓喜した。ちょうどジャッキーのご両親もプリマスを訪れていた。ジャッキーに紹介される。明日はみんなで向こう岸までピクニックに出掛ける予定だ。ジャッキーのお父さんは元陸軍少佐だったいう。彼は紳士でよく話す人だ。彼に限らず僕の知っているイギリス人はイギリスの事をよく説明してくれる。その知識も豊富だ。

夕食はベビーの誠がまだ小さい為にインディアン・フードのテイクアウトをしてジャッキーたちの部屋で食べた。ご両親はホテルに戻った。インディアン・フードそのものも美味しかったがみんなで食べる食事が美味しいし楽しい。十年来の友達だから昔話、パーティーの思い出も尽きない。当時のパーティーの事を思い出すと涙が出て来る。みんな笑顔でよく踊った。

ジャッキーたちの部屋は一つしかないのでジャッキーが留守中の友達のフラットを用意してくれていた。歩いてすぐの所にそのフラットはあった。マーク、シャーロット、ハルオは一つの部屋でそれぞれ横になった。前のブログに書いた様にこの週末はグラストンベリー・フェスティバルが開催されている。テレビで中継をやっていたので寝る前に少し観た。アメリカの往年のグループCCRのジョン・フォガティーの姿を久々に観たり、今年60歳になるイギー・ポップが上半身裸で観客をステージに連れ込んでいた。そのパワーにド肝を抜かれ圧倒された。カッチョイイ!!!寝る前に元気が出た。エナジーを振り絞れ!

優しさをもらえば優しさを返す。
その優しさはまわりの雰囲気を穏やかにする。
笑顔も増える。

改めてそれを感じる事が出来たプリマス最初の夜だった。


続く。。。

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3週間の『helloharuo tour 2007』から帰国した。
2007年6月21日〜7月10日の日程だった。
今回は友人の結婚式に参列するのが一番の目的でイギリス、ドイツ/ベルリンに住む『地球上の友人を訪ねる旅』とした。友人が世界各国に住んでいる。

旅の間、全身白色で統一した。5月くらいから東京で始めたが気分的に『リセット』『もっと慎重に』が発端になっている。なのでピコピコ王国のあっきー王子から借りた90ℓのバックパックには白の着替えを沢山詰め込んだ。

21日(木)
夜にヒースロー空港に着き、最初の友人シャーロットに会う。彼女とは、9年ほど前に東京のパーティーで出会い、何度も一緒にパーティーを行く様になった。数年前にロンドンに戻ったシャーロットのフラットに泊まる。女の子3人で暮らすそのフラットは、3部屋がそれぞれあり共同でキッチン、リビングルールがあった。僕は、そのリビングルームで寝かせてもらった。

美しいシャーロットは心優しく僕をもてなしてくれた。彼女は夜食にとスクランブル・エッグ・トーストを作ってくれた。

久々のロンドン。前回は6年前の2001年だった。イギリス英語は僕の耳には心地よい。

22日(金)
朝からSOHOへ出掛けた。シャーロットのフラットにはネット環境がないのでインターネットカフェを探してヨッシーにメールするとその場で返事が返って来て後で会う事になった。リジェント・ストリートのAppleストアーで待ち合わせヨッシー&大山君夫婦と再会。二人は元気でいつも僕を励ましてくれる。リジェント・ストリートには、『UNIQLO』も『無印良品』もあった。SKETCHというトレンディーなカフェ・パーラーでお茶をした。彼女たちから旅の間にとプリペイドの携帯電話を貸してもらった。思いがけない計らいで嬉しく感謝した。

夜には、仕事を終えたシャーロットと合流し、ベトナムレストランで食事をした。時差ぼけが始まり突然眠くなる日々を数日過ごす事になる。レストランには、ドリンクが持ち込めるのでお店に入る前にビールを買った。アジア系のレストランだからかもしれないがタバコの煙が店内の立ち込めていた。イギリスでは7月1日からレストラン、パブでは全面禁煙となる。日本はいつの事になるだろうか?
やはり東京で出会い、友人のブラジリアンのセイジが高級に日本食レストラン『UMU/生む』で働いているので閉店後に彼と再会した。このレストランはロンドンで最高級の京懐石レストランだ。ミック・ジャガーやマドンナといったセレブが利用するという。セイジにも3年振りで会えた。シャーロットもセイジもパーティーで出会った心許せる友人だ。近くのバーで酒を飲む。セイジとは僕の滞在中にもう一度会おうと思っていたがこれが最初で最後になってしまった。

23日(土)
シャーロットのフラットメイトのデンマーク出身のなんとかちゃん(?)と3人で近くのマーケットに出掛けた。シャーロットたちが住んでいるのは東ロンドン。この地区には、昔からテムズ川のうなぎを食べる習慣があったそうだ。ロンドンでうなぎ!?この事実は知らなかった。小さいマーケットだったが楽しめた。
この日の午後シャーロットと僕は、ジャッキーの住む『PLYMOUTH』に行く予定だ。
急行電車で3時間半の旅になる。
イギリスでの物価はとてつもなく高く、食事/電車料金/タバコと£があっという間に飛んで行く。噂は聞いていたが現実問題となった。この週末は、イギリスでは恒例のグラストンベリー・フェスティバルが開催されていた。(紹介するサイトは只今公開中の映画のHP)その新聞を見る。今年は18万人が動員された。会場は雨で泥の河となったらしい。日本のフジ・ロック・フェスって何人動員されるのかな?


東京の部屋に一緒に住む愛猫のナデシコは出発する一日前に実家の母親に預けた。数日間のロケや、出張であればピコピコ王国のさっちゃんに部屋の鍵を渡し世話をしてくれるがさすがに3週間は長い。新幹線で三河安城駅まで行き、実家に戻り2時間くらいでまた東京に戻った。ナデシコは、新幹線に乗っている間に失禁した。不安だったんであろう。ごめんね。
実家の母親にとっては孫の面倒を見る様な事になった。それなりに嬉しかったと思う。実家には外飼いで猫が10匹くらいいる。ナデシコは外には出さない。8月のお盆まで預かってもらっている。


続く。。。

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